シン・エヴァンゲリオン感想<ネタバレなし>①上映前の気持ち
シン・エヴァンゲリオンを見て、正直な感想は「終わった、本当に終わった」。
面白い・面白くないより先に、きちんと完結したこと。
それが尊くて見終わった後は満足感でいっぱいだった。
私がTV版に出会ったのは旧劇(Air / まごころを君に)がリアルタイム上映中のこと。
大学の友人が「すごいアニメがある。TV放送ではきちんと終わらなかったから、完結編を映画館へ見に行く。」と興奮気味に語り、「今からでも追いつけるから、これ貸してあげる!」と録画テープ(当時はビデオだった)を手渡された。
見始めると、従来のロボットアニメとは一線を画す斬新な設定と、キャラクター&メカニックデザインに驚いた。
主人公なのに、正義のために戦う覚悟がない。地球を守るという崇高な理想や、強くなりたいという向上心もない。
ないない尽くしの「ごく普通の少年」が、過酷な戦いに翻弄される姿に釘付けになった。
そして伝説の25話、26話を見て友人の「TV放送ではきちんと終わらなかった」の意味を理解した。
こんなアニメが公共の電波に乗ったのか・・・放送事故じゃないか・・・
呆然とすると同時に、「こういうのもアリなんだ」と妙に嬉しかった。
きちんとした(体裁の整った)作品はわかりやすいし、納得がいく。
でも、それは予定調和の結末を迎えることを意味する。
大団円であっても、悲劇的な最後であっても、「いつか見たことがあるような」ラストにならざるを得ない。
しかし、TV版エヴァは「誰もこんなもの見たことがない」作品だった。
すごいものを作る人がいるんだな・・・大人が「仕事として」こんなことをしても許されるんだ。
それは、これから社会に出て「型にはめられていく」タイミングだった私にはとても小気味好い、大人の開き直り方のように感じた。
「頑張ったけど時間が足りませんでした!精一杯やった結果がこれです!」
全力で取り組んだのなら、そんな言い訳も許されるのかもしれない。
(もちろん、投げつけられる批判はすべて受け止める覚悟が必要だけれど。)
全話見終わり、友人にビデオテープを返した。そして尋ねた。
「映画はどうだった?面白かった?」
すると友人は
「うわああああああああああ!!」と頭を抱え、感想を述べずに走り去ってしまった。
私が友人の気持ちを理解するのは、その後数年の時間を要した。
「Air / まごころを君に」を、いつどのように見たのか、実ははっきり覚えていない。
シン・エヴァを見るためにTV版、旧劇をDVDで見直してみて確実に以前見たことがあることはわかったけれど、記憶は茫洋として曖昧だった。
改めて見直すと、旧劇のオタクに対する攻撃性に満ち満ちた表現は、あからさますぎてたじろぐほどだ。
シンジが戦いで傷ついて動けないアスカの裸をみて自慰する場面は、2次元の美少女キャラクターに性的欲望を抱くオタクへの揶揄だろうし、後半の「映画を見ている観客を、突如スクリーンに映す」というのはもっとわかりやすい。
気持ち、いいの?
その場面に重ねられたことばは、きっと劇場で初めてこの映画を見たオタクを打ちのめしただろう。
「オタクたちよ、現実に帰れ」
それが旧劇のテーマだったそうだが、空想の世界で衒学的に「考察」をしたり、勝手に感動したり怒り狂ったりするオタクに庵野監督が辟易し、傷つけられ、追い詰められていく様子がフィルムに焼き付いているようで、見ていて辛くなった。
旧劇の間中、シンジはずっとエヴァに乗ることに否定的で、ネルフ職員が戦自に殺害されていくのにも無関心。
自分の殻に閉じこもって、そこから出てこない。
ミサトが命がけで彼を守り、散っていってもすすり泣くだけで、敵を取ろうなんて気はまったくない。
彼の世界には、自分しかいない。アスカを好きなのも、アスカなら自分を受け入れてくれるのではないかという期待から。
空虚な自分を埋めてくれる相手なら誰でも良い。それをアスカ本人に見透かされているから、拒絶されてしまう。
どこまでも救いがない。そして何も解決しない。
さらに新劇の序・破・Qを復習して、不安はつのるばかりだった。
本当にエヴァンゲリオンは終わるのだろうか?
不安7割、期待3割で映画館へ向かったのは2021年3月14日のことだった。