夫婦でボードゲーム

夫婦でボードゲーム

ボードゲームにハマった夫に付き合ううち、嫁が積極的にボドゲ購入するように。ボドゲ初心者から、ようやく中級者になってきた日常を、2人で遊んで楽しいボードゲームを中心にまったり綴ります。(時々、映画・ドラマの感想など)

シン・エヴァンゲリオン感想<ネタバレあり>⑤渚カヲルについて

「今度こそ、君だけは幸せにしてみせるよ」

渚カヲルは、新劇世界の中で明らかにTV版~旧劇の記憶を引き継いでいる「登場人物中のイレギュラーな存在」だった。

それが「生命の書に名前を書き加えられた=円環する物語の中で、何度でも復活する存在」ということだろう。

 

カヲルはTV版~旧劇~新劇を通して、ずっとシンジを幸せにするために行動してきた。

しかしそれらはことごとく失敗に終わり、むしろ状況を悪化させることさえあった。

シンジが着けていたDSSチョーカーを引き受け、彼の代わりに死ぬことさえ厭わないカヲル。これほど献身的に尽くしても、なぜカヲルはシンジを幸せにすることができないのだろう?

 

「僕は、君と出会うために生まれてきたんだね」

いつでもシンジを肯定して、優しく接してくれるカヲルは一見シンジにとって理想的な「友達」だが、シンジの主体性を奪う負の部分も併せ持っている。

※Qで傷ついたシンジが、カヲルのことばを盲信してフォース・インパクトを引き起こした原因はそこにある。

 

リリスから槍を引き抜くと、何が起きるのか。カヲルはシンジに説明しようとしない。「世界を元に戻すことも可能だ」と希望を持たせるだけで、詳細は伏せたままだ。

『僕がすべて君に良いように取り計らうから、心配しなくて良い』というカヲルの態度が、フォース・インパクト発動→それを止めるためにシンジの目の前でカヲル爆死という、シンジにとって最悪の展開を引き起こした。

 

ここで明らかになったのは、カヲルがリリスに刺さった2本の槍の形状に疑問を抱き「止めよう、シンジくん」と言ったにもかかわらず、シンジはそれを聞き入れなかった=2人の間に、本当の信頼関係は成立していなかったということだ。

 

カヲルのシンジへの接し方は、過保護な親のようだ。

子供を傷つけるすべてのものを、先回りして取り除いていく。

ひたすら子供を肯定し、甘やかす。

しかしそれは子供のためではなく、子供を永遠に自分から逃れられなくするための呪縛だ。

子供が大人になることを阻み、自分の庇護の下でしか生きられないように囲い込もうとする行為なのだ。

 

シン・エヴァで描かれたカヲルは「シンジを幸せにすることで、自分が幸せになりたかったのではないか」という本心に向かい合う。

シンジという他人の幸せを行動原理にするカヲルには、「自分自身の幸せというビジョンがない」=強くシンジに依存した状態なのだ。

 

シン・エヴァのシンジとカヲルの対話のシーンで、シンジはカヲルに手を差し出す。

「仲良くなるためのおまじないだよ」

仲良くなることは、一方的に何かを与える関係ではない。相手に手を差し伸べ、それが握り返されたときに初めて成立する、対等で相互補完的な関係だ。

 

※これは、アヤナミレイが第三村でシンジに対して行っていた働きかけと同じだ。

「仲良くなるためのおまじない」

「わたしに名前をつけてほしい。碇くんがつけた名前になりたい」

レイは、シンジと触れ合うことで自分が変わるのを恐れていない。

むしろ変化は喜びであり、これからも変わり続けることを望んでいた。

 

シンジは、イマジナリー(空想)の世界ではなく、現実世界で他人と触れ合うことで自分以外の誰かと一緒にいる幸せを感じられるようになった。

今までの自分は、他人を求めながらも拒絶し、自ら孤独の中へ逃げ込んでいた。

黙って殻に閉じこもっているだけでは、誰とも対等な関係は築けない。

それに気づいたシンジは、ようやく自ら他人に触れられるようになったのだ。

 

「カヲルくんは、父さんに似てるんだ」

シンジへの態度は真逆といって良いゲンドウとカヲル。

しかし、その根底に流れている考え方は、実は共通している。

「自分の言うとおりに行動することが、シンジにとって最善なのだ」と、シンジ本人の意志を確かめる前に決めてしまうこと。

自分以外の誰か(カヲルにとってはシンジ、ゲンドウにとってはユイ)を「自分の幸せにとって必要不可欠なもの」と思い込み、依存していること。

 

「君は、現実世界でもう救われていたんだね」

このカヲルの台詞は、ゲンドウの「大人になったな、シンジ」と意味するところは同じだ。

シンジの成長を認めたカヲルは、最後に加持と一緒に農園を歩いていく。

加持「老後は、葛城と一緒に土いじりでもどうです?」

カヲル「それもいいね」

ふたりは画面に背を向けて、遠くへ歩き去ってしまう。そして彼らの姿を観客から完全に断ち切るように撮影所のシャッターが降りる。

 

シン・エヴァ劇中で死亡した加持と一緒に、去っていくカヲル。

それを見た時、「ああ、カヲルは成仏したんだ」と感じた。

加持とカヲルが向かう先にミサトがいるのだとしたら、ふたりが歩いていく農園は「あの世」なのだろうか。

それとも彼らが生きている世界線なのか?

 

それは見た人の心に委ねられている。ただはっきりしているのは、本当の望みを自覚し、シンジから離れる決断をしたカヲルは、もう2度とエヴァのいる世界に復活することはないということ。

月に安置された無数の棺桶の中から、カヲルが蘇ることはなくなったのだ。

 

※そしてこのシーンで、カヲルと同時に加持とミサトも救われているのがとても良かった。