ヴァイオレット・エヴァーガーデン2021年10月29日金曜ロードショー特別編集版を見た感想
【注意!】
かなり正直に書いたので、辛辣な意見と感じる方もいらっしゃると思います。
作品のファンの方は、不快になる可能性がありますので、読まないことをオススメします。それでも良いと言う方のみ、続きをどうぞ。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、京都アニメーションが手掛ける美しい映像が素晴らしい作品だ。
細やかな作画(特に光と陰、風や水の動き等の自然描写)には驚かされる。
では、「美しい映像」以外の物語部分は一体どのような作品なのだろうか。
<戦争が終わったばかりの世界>
孤児であったヴァイオレットは戦時中、軍に拾われ上官の命令に従ってひたすら敵を殺傷する殺人マシーンとして過ごす。
作中の描写から、彼女が兵役についていたのは(おそらく)14歳からの4年間。
その間に彼女の上司であり理解者であるギルベルト少佐とのみ、心の交流があったようだ。
●気になるポイント①
そもそも、14歳の「金色の髪に青い瞳、玲瓏な声を持つ可憐な容貌をした少女」であるヴァイオレットが、たった一人で一個師団に匹敵する戦闘能力を持っている設定がトンデモすぎる。
一般的にはこういったトンデモを成立させるために
・生まれたときから軍による特殊な訓練を受けている
・遺伝子操作されていて、見た目では考えられない超能力を持っている
・体の一部が特殊な武器になっている
等の設定を加えるものだが、ヴァイオレットは生身のようだ。
小説なら、文字情報だけなので首をかしげる設定でも薄目で読み流すことができるが、映像化されるとなかなかに辛い。
華奢な美少女が銃剣で敵兵を殴り殺していくシーンは、ヴァイオレットの強さに震撼するというより、敵側が滑稽に見えてしまう。
そして、戦時中の描写で一番問題だと思ったのは、重傷を負って動けなくなったギルベルト少佐が「(君だけでも)逃げろ」とヴァイオレットに向かって言う場面。
「(一人で逃げるのは)嫌です」と答えるヴァイオレットは「泣いている」のだ!
・・・愛・・・知ってるじゃん・・・。
序盤にして、すでに「ヴァイオレットは愛を知らない機械のような人物」という設定が崩壊しているのだ。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンで使われている「愛を知らない」という言葉は、実は「感情表現が下手で、適した言葉を使いこなせない」にすぎない。
気になるポイント②
この作品に登場する職業、自動手記人形(ドール)。作中でヴァイオレットが引き受けた仕事は以下の通りだ。
- イ.手紙の代筆:文字をかけない人、文章表現がうまくない人に代わって手紙を書く
- ロ.小説・脚本の口述筆記
- ハ.歌曲の作詞
- ニ.古文書・古典資料の清書
- ホ.外交文書の作成・清書
この中で倫理的に問題がなさそうなのはイ、ロ、ニ。
ハはゴーストライターということになるだろうし、ホは普通の国なら官僚が行うので、民間のサービス会社に外注することはあり得ない。
この中でメインになるイの手紙の代筆だが、「依頼者本人でさえ自覚していない本音の部分をすくい取って文章にできる」ことが良い自動手記人形の条件とされている。
ヴァイオレットが自動手記人形になりたいと決意するきっかけとなったカトレアによる恋文の代筆の場面で、
恋文に書きたい内容を口述する客が「あ・・・」と言いかけた時、カトレアは「愛している」と客の言葉を遮って、先に続く文章を言い当ててみせる。
一見「良き自動手記人形」の見本のような場面だが、恋心を綴るーーー自分の胸に秘めていた真心を文字にしようと決意した客にとって、先回りして「要するにあなたの言いたいことはこうでしょう」と指摘されることは、たったひとつの自分のこころを、一般化されたような衝撃だろう。
つまり、手紙を代筆するーーー客の口述した通りに文字起こしする以外の、ドールの主観を交えた手紙は、もはやオリジナルの客のこころではないのだ。
訓練を積んだドールなら、客が自分自身の口から絞り出したことば以上に「素晴らしい手紙を書ける」というのは傲慢なのではないだろうか?
気になるポイント③
自動手記人形という職業が成立する背景として、作品世界では「識字率が低い」ことになっている。
ヴァイオレットが働いているC.H郵便社だけをみても、4名もの自動手記人形が所属している。これは、相当数の顧客がいなければ成立しない。
つまり、この街にはかなりの人数「文字が書けない人」が存在しているはずなのだ。
通常、文字が書けないのは文字が読めないからだ。(文字を読む知識があるのに書けないのは、後天的に視力を失った・手が動かない等の身体的ハンデを負っている場合だろう。)
※ちなみにユネスコでは、識字率を「日常生活の簡単な内容についての読み書きができる15歳以上の人口の割合」と定義づけている。
この作品世界の設定では、そもそも手紙を出すことが非常に困難なはずなのだ。
しかし、登場人物たちはみな普通に手紙を読んでいる。
一体どうなっているのだろう・・・。
気になるポイント④
伝説の10話と呼ばれている(らしい)「愛する人はずっと見守っている」。
人でなしと言われることを覚悟して書くなら、私が一番受け付けなかったのはこのお話。
まず、アンは7歳の設定だが、7歳の子供はあんな行動は取らない。
アニメで描かれた振る舞いを見るに、アンの態度はせいぜい3~4歳児といったところだろうか。
アンは、「大人が想像した大人にとって都合の良い子供」なのだ。
ダダをこねる様子も、お人形遊びも、母親に甘える様子も、本当に7歳の子供を観察して描いたなら、絶対にあのようにはならない。
机の上だけで想像した「子供」だから、子供の外見をしているだけの「物語を進行するのに必要にして十分な言動をするキャラクター」の域を出ていない=リアリティがないのだ。
同じように、アンの母親もリアリティがない。
もしあなたが余命幾ばくもないと知った状態で、我が子が「お母さんと一緒にいたい」と泣いたら?
将来彼女に届く手紙を代筆してもらうことと、生きている「今」最愛の娘を抱きしめることとどちらが大切だろうか?
私なら、貴重な時間を7日も代筆に費やしたくない。1日で切り上げるだろう。
そして最もリアリティがないのは、この「母親がアンに宛てた50年分の誕生日メッセージを、ヴァイオレットに代筆してもらう」という設定だ。
想像してみてほしい。10歳、20歳といった節目に子供に語りかけるなら、メッセージを考えるのは容易い。
では、27歳と29歳は?31歳と32歳、44歳、48歳は?
あなたなら一体どんな手紙を子供に書くだろう?
50通の文面を考えているうちに、後半ネタ切れで苦しくなってくるのではないだろうか。
そして何よりーーー50年後の未来も今と変わらない明日が来る保証はどこにもないのだ。
まして、作品世界は大戦を経験してまだ間もない設定なのだからなおさらだろう。
※現実的なのは、8歳から20歳までの目まぐるしく成長する13年間ーーー13通だけ書くことだろう。
もしくは、10歳、15歳、20歳、25歳・・・と5年刻みで書く(9通)。
これなら1日で作業は終わる。アンとも十分親子の時間が取れる。
<追記:最大の問題点(だと私が感じたこと)>
この感想を書いた後も、なんだかモヤモヤした気持ちが残ったので、一体何がそんなに気になるのか考えてみた結果・・・
最も重大なことに気づいてしまった。それはーーーー
ヴァイオレットが、自分に最も欠けている能力が必要とされる仕事に就いたこと。
わかりやすく、少女が仕事と向き合う中で成長していくアニメという点で共通する「魔女の宅急便」と比較してみよう。
魔女の宅急便の主人公キキは、魔法が苦手で出来ることといえば「箒で空を飛ぶ」だけ。
だから空を飛んでお届け物をする「宅急便」を始める。
自分の得意なことを活かそうとするのは、仕事の基本だ。
なぜなら、仕事は顧客から対価を得るから。
お金を受け取るのに、不完全で好い加減な仕事はできない。
しかし、ヴァイオレットは自分の情緒に欠けた部分があるからこそドールになるという。
「“愛している”を知りたいのです」
それは、空を飛べないキキが「これから“箒で空を飛ぶ魔法”を覚えますので、私に宅急便をさせて下さい。空を飛ぶのがどんな気持ちか、知りたいんです!」と言うようなものだ。
顧客にとって、安全に、時間通りに、決まった場所へ荷物を届けることが宅急便に求める役割であって、キキが空を飛んで気持ちが良いかどうかは関係ない。
同じように、ヴァイオレットに求められるのは顧客の気持ちに寄り添い、胸に秘めたことばにならない想いを引き出す能力だ。
彼女自身が「愛している」をどう感じるかは、顧客の預かり知らぬこと。
これは無給のボランティアではなく、「仕事」なのだから。
自分に一番欠けていることを仕事にするのは、顧客に対して不誠実だと思うのだ。
<結論>
映像の素晴らしさは文句なし!
物語はよくある感動モノを継ぎはぎしているため、設定の作り込みが甘い。
そのため矛盾や疑問点が多すぎる。
感動モノは一定の満足感が保証されているので、定期的に作られるジャンル。
泣いた!素晴らしかった!という感情の共有と、「泣く」という行為そのものがストレス解消の効果があって、費やした時間に対する対価が「計算できる=コスパが良い」からだ。
一定の感動ストーリーに非常にクオリティの高い映像が加わったことで、内容以上に評価されてしまった作品・・・かな。
ファンの方、ごめんなさい・・・。