夫婦でボードゲーム

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ボードゲームにハマった夫に付き合ううち、嫁が積極的にボドゲ購入するように。ボドゲ初心者から、ようやく中級者になってきた日常を、2人で遊んで楽しいボードゲームを中心にまったり綴ります。(時々、映画・ドラマの感想など)

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見た感想

<注意>

2021年11月5日の金曜ロードショーヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見た感想です。

「泣いた」というファンの方には不快な記述があるかもしれません。

それでも良い方のみ、先にお進み下さい。

 

外伝では、ヴァイオレットは良家の子女のみが通う規律の厳しい女学校へ家庭教師として派遣される。

由緒正しき名家の娘、イザベラの教育係となるヴァイオレット。

実は、イザベラはかつてエイミーという名で浮浪児のような生活をしており、跡取りが必要になったヨーク家による捜索で発見され、現在の「名家の娘」のポジションを得た人物だった。

 

序盤で語られるこの設定が早くもつらい。

市井で何の教育も受けずにその日暮らしをしていたエイミーを引き取ったヨーク家は、すぐにでも一般常識のみならず、家名にふさわしい礼儀作法の教育を始めるのが普通だろう。

幼少期を捨て子として過ごし、戦時中は人殺しに明け暮れ、ろくな教育を受けずに育ったヴァイオレットに教育係の白羽の矢が立つのは、あまりにも不自然。

 

こうした不自然な設定をあげつらっていくと、それだけで感想が終わってしまうので細かいことには目をつぶって、肝心の中身について見てみよう。

 

外伝のあらすじはこうだ。

①ヴァイオレット、名門ヨーク家の娘イザベラの教育係として女学校に3ヶ月派遣される。

②その間にイザベラとヴァイオレットは友達になる。

③イザベラはかつて、エイミーという名前で戦後の荒廃した町で浮浪児のような生活を送っており、同じ境遇の年下の少女テイラーと身を寄せ合ってふたりで暮らしていた。

④跡継ぎが必要になった名門貴族ヨーク家がエイミーを見つけ出し、連れ帰ってしまう。エイミー(=イザベラ)とテイラーは離れ離れに。

⑤テイラーはヨーク家のはからいで孤児院に入れられ、無気力に過ごしていた。そこにエイミーから手紙が届いたことで、テイラーはエイミーと再会するという希望を抱く。

⑥自分に生きる希望を取り戻させてくれた「手紙」はテイラーの中で特別な存在になり、テイラーは人々に幸せを運ぶ郵便配達人になりたいと思うのだった。

 

①バイオレットが女子校でイザベラといちゃいちゃする百合展開。

・バイオレットがひとつのベッドでイザベラと寝る

・ふたりで一緒に風呂に入る

・ヴァイオレットが男装をして、イザベラとダンスの練習をする

等のシーンがあり、恐らくそれを描きたいがため「ヴァイオレットが貴族の子女の教育係になる」という設定になったのだろう。シュチュエーション萌のための装置

 

②特にこれといった劇的なことは起こらないまま、いきなりヴァイオレットとイザベラは友達になる。

「あれ?重要なシーンを見逃したのかな?」と目をこするも、そんな描写はない。

 

③浮浪児として過ごしていたかつてのエイミー(=イザベラ)が、捨て子だったテイラーを拾う場面。

重要なのでエイミーの台詞を引用する。

「決めた。(この子を)僕の妹にする。復讐だから。こんな生き方しかさせてくれない(社会に対しての)。本当はこの子も(僕と同じように)不幸になるはずなんだ。でも僕が幸せにする。新しい選択肢を、何もない僕がこの子に与える。」

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの登場人物すべてに共通する問題点がこの台詞に凝縮されている。

それは「あたかも相手のことを思って行動しているように見せかけて、その実自分のことしか考えていない」という姿勢だ。

 

エイミーには何もない。収入を得る方法は、金目のものをクズ山から探し出すことくらい。

これで未成年2人が生活していくのは無理がある。

※普通に考えて、一番換金性が高い「自分の体を売ること」は、美しい世界観にそぐわないので、検討されることすらない。

 

「本当はこの子『も』不幸になるはずなんだ」という台詞からわかるように、エイミーは自身の境遇を現在進行系で不幸だと思っている。

それを、テイラーを幸せにすることで「こんな困難な社会情勢化にあっても、自分には他人を幸せにする力がある」という満足感で打ち消したいと言っているのだ。

 

④そして、自分ひとりの生活さえままならなかったエイミーが、どのようにして収入を増やし、ふたりの生活を成り立たせていったのかは不明なまま、大貴族のお屋敷から迎えがやってきて、エイミーは「名家のお嬢様」の地位を手に入れる。

それは自分の力でテイラーを幸せにすることを放棄したことに他ならない。

自分といるより、貴族の金と地位で自分、そしてテイラーを保護してもらう方が合理的だと判断したのだろう。

エイミーの社会に対する復讐失敗したのだ。

 

※この場面で、エイミーは離れ離れになるテイラーが泣き叫んでいても彼女に対して何も説明しない。事情を言い聞かせることなく、ただ去ってしまう。

ヨーク家がエイミーを必要としているなら、彼女はヨーク家と交渉することもできたはずだ。「ヨーク家に戻る条件として、テイラーも一緒に連れて行ってほしい。」と。

使用人としてでも構わないなら、ヨーク家もテイラーを受け入れたのではないだろうか?(その方がエイミーを恩を売ることができ、御しやすくなっただろう)

 

他人に対する思いやりや愛を描いているように見せかけて、どの登場人物も自分のことに精一杯。真に他人に対して心を砕くことがないのだ。

 

⑤孤児院に預けられたテイラーの元に、イザベラ(=エイミー)から手紙が届く。

「これは貴方を守る魔法の言葉です。『エイミー』・・・ただ、そう唱えて」

怖い、怖すぎる。

自分の名前を唱えれば、それが貴方を守ってくれる?!

これをあなたが他人から言われたらどんな気持ちだろうか。

・・・正直に言うなら、「自惚れるな、何様のつもりだ」と私なら思う。

 

守られているのはエイミーその人だ。ヨーク家で籠の鳥のような生活を強いられているーーー『エイミー』の名を失い、『イザベラ』になってしまった自分。

テイラーが「エイミー」の名を呼んでくれる限り、確かに自分はそこに存在したことが証明できる

ここでも「自分のことばかり」だ。

 

※外伝では、TV版で仲の良かったヴァイオレットの友人、ルクリアが再登場する。

ルクリアはヴァイオレットと面識のない男性と親しげな様子で、彼女の婚約者なのではないか?と想像される。

あんなに親しかったのに、外伝ではヴァイオレットはルクリアと没交渉になっていて、近況をまるで知らないようだ。

物語の筋に関係なくなると、友人ともあっさりと関係が希薄になってしまう。

このあたりも「本当に思いやりと愛を描く物語なのか?」と首をかしげる所以だ。

 

⑥ヴァイオレットは、テイラーに「困ったことがあったら私を訪ねて下さい」と手紙を出す。

ヴァイオレットひとりではテイラーの面倒をみられないのに、無責任なことこの上ない。

その証拠に、最終的にテイラーはエヴァーガーデン家に預けられてしまうのだ!

毎回、扱いに困った子供を押し付けられるエヴァーガーデン家はたまったものではないだろう。

 

<結論:ヴァイオレット・エヴァーガーデンとは?>

精緻な映像美は語るまでもないので、物語として。

●“善意”で行ったことは絶対に拒絶されず、悲劇も生まず、最終的にハッピーエンドへ向かっていくストレスの少ないお話。

 

●泣かせポイントが散りばめられているので、ストレス発散と「涙を流せる自分」への自己肯定感を視聴者に与えることに成功している。

 

●細かい設定の整合性は元がラノベなので薄目で見るのが吉。キャラ萌できる人におすすめ。