NHKドラマ「犬神家の一族」感想 <ネタバレあり>
2023年4月22日、4月29日に前後編に分けて放送されたNHKドラマ、犬神家の一族。
すでに11回も映像化されている横溝正史の名作推理小説を、どう料理するのか?
とても楽しみに視聴。期待を超える素晴らしい作品でした!
家族で見た感想を。
夫:市川崑監督の映画版を見て、あらすじは知っている。
私(妻):高校生の頃に原作小説を読んだことがあり、流れは理解。
長女(高1)長男(中2):ふたりとも原作小説を読んだことがなく、犬神家も初見。
<令和のJKから見た犬神家>
娘「珠世さんって結局、何者なの?」
全編を見終わって、まず娘が言った言葉がこれ。
その感覚はある意味正しい。
遺産相続の関係者の中で、珠世だけが「犬神家と血縁関係になく、犬神佐兵衛にとって大恩人である、野々宮大弐の孫娘」という立場を長く取っているから。
ラストに珠世の出生の秘密が明らかになるものの、佐清と静馬の入れ替わりトリックや、松子の犯行を金田一が暴く見せ場に隠れて「で、結局珠世って何だっけ?」となりやすい。
何より、珠世の正体をすんなりと飲み込めない一番の障害が「佐兵衛と大弐が衆道の関係にあった」というくだり。
私「衆道の意味はわかった?」
娘「わかったよ!男同士で恋愛することでしょ。大奥※1で見たもん」
※1:NHKで2023年1月に放送されたドラマ10大奥のこと
そう、令和のJKには「大弐と関係を持ちながら、佐兵衛が大弐の妻:春世との間に子を持つ」という異常な三角関係が理解できないようなのです。
明治~昭和初期の世相が「犬神家の一族」には大きく影を落としているけれど、その前提が現代っ子には伝わりづらい。
当時、身寄りも職もない人間が生きていくためには「今、ここに確実に存在する換金できるもの=体を売る」しかないのは、男も女も同じ。
この、自身の性的指向に関係なく、生きるために大弐と衆道の関係になる必然性が腑に落ちないと、佐兵衛が春世、そして珠世に終生こだわった理由が見えづらい。
困窮した立場から一転、製糸王として莫大な富を築いた佐兵衛は、自宅に3人の妾を囲うようになります。
これは、生きるために望まない衆道のちぎりを結んだ自分の黒歴史を払拭する――男としての沽券を回復するために思えてならないのです。
自分の男性性を確認するための妾なのだから、愛情を抱かないのは当然のこと。
その妾が産んだ子も、跡継ぎになり得ない「女」ならば、いないも同然だったのでしょう。
佐兵衛にとって唯一愛したのは春世であり、大切だったのは自分のとの間に男児を産んだ青沼菊乃(とその子、静馬)だけだった。
これが物語の発端であり、終局までを貫く「決して得られないものを求め続けた人々の物語」という今回の犬神家を象徴する出来事になります。
<松子、静馬の人物像>
今回のドラマで、従来の映像化とは大胆に異なる解釈が取られていたのが松子、静馬、佐清の3人の人物造形です。
まずは松子・静馬から。
松子は3姉妹が犬神家の相続に血眼になる理由が「財産だけではない」と言います。
決して自分たち娘を愛そうとしなかった父が遺したものを息子に相続させることで、自分の存在意義を明らかにしたい――父への復讐と、歪んだ形での父の愛情の獲得が目的だと。
ドラマ冒頭の佐清と松子が汽車に乗っている場面。
佐清(=静馬)は松子の手に触れようとしますが、松子はこれを拒絶します。
松子は、復員してきた男が息子ではないことを直感しています。
しかし、松子自身が相続人になれない以上、絶対に佐清には生きて帰ってきてもらわなくてはならない。
「あの男は、ただの化け物でしたよ」
松子のこの台詞が、非常に印象的でした。表面的には
「あの男は、佐清ではなく静馬だった」
「佐清でない以上、ただの顔を焼かれて化け物じみた外見になってしまった赤の他人」という意味に取れます。
しかし、今回のドラマの静馬は『母:菊乃と自分を虐待した犬神3姉妹に復讐を目録む悪人』ではありませんでした。
一度も味わったことのない母の温もりを求める、寂しく悲しい人物として描かれています。
これこそが、松子にとって「化け物」という言葉につながったのでしょう。
父への遺恨と思慕をつのらせ、赤の他人を息子と偽ってでも遺産を相続させようとした自分。
そんな自分を慕い、愚かにも息子に成り代わろうとした静馬。
「(静馬を佐清として信じ込ませ)騙し通せると思っていたのですか?」
この台詞は、真相を告白した佐清だけに投げかけられたものではありません。
嘘を知りながら、目的のために目を瞑ろうとした松子と静馬にも等しく問われたのです。
どこの誰ともわからない男を、最愛の息子であるように仕立て上げ、疑いながらも手形が一致したときには「やはりこれは佐清なのだ」と喜び、静馬だとわかった途端、殺す。
「あの男は、ただの化け物でしたよ」
この言葉を発したときの松子は、自身の中にある暗い感情を覗き込み、本来かたきであるはずの犬神家を「温かい我が家」として憧憬した静馬の歪みを理解した――彼の抱える「愛情の欠落」が自分と同種のものであると気づいた瞬間のように思います。
<ラスボス:佐清>
原作既読勢こそ、度肝を抜かれたラストだったのではないでしょうか。
母の自分への愛情を利用し、静馬を操り、遺産相続を有利に進める佐清。
金田一の佐清への疑いを聞いた後、ドラマでは静かに湖のほとりに佇む珠世の姿が映し出されます。
泰然とした珠世の表情を見ていると、珠世と佐清はある時点※2から結託して遺産相続の障害になる邪魔者を排除していったのではないかとさえ思えます。
※2:佐清・珠世共犯説をとるなら、奉納手形の一件あたりから珠世は佐清と示し合わせていたのでは?
しかし、よく考えてみると、佐清と珠世は出征前から相思相愛の仲であり、珠世と結婚した男子が相続権を得るのですから、佐清が殺人を犯す必要はないのです。
静馬を犬神家の一員として遇し、堂々と復員するだけでよかった。
「金田一さん、あなた『病気』です」
ラストの佐清のセリフは、「金田一さん、考え過ぎですよ。妄想です」
ともとれる一方、陰惨な相続争い、殺人、人間の暗部をえぐり出す絡み合った因縁に関わり、「真相を知りたい」という欲求だけで人の心に踏み込んでくる金田一への強烈なカウンターパンチである※3ように思うのです。
そして、佐清は「エンターテイメントとしてこのドラマを消費している視聴者も、金田一と同じ穴の狢なのですよ」と言っているように感じます。
だからこそ、今回のドラマ版では
「松子の死をもって真相が明らかになり、金田一が犬神家を去るところ」
で終わらず、あえて「その後の金田一と佐清のやりとり」を描いたのだと思います。
※3:金田一は警察ではありませんから、佐清が仮に悪意をもって母と静馬を操っていたとしても、彼を裁くことはできません。
また、佐清が行ったことは犯人隠匿と死体損壊だけなので、決定的に佐清が殺人に加担したという新たな証拠でもない限り、佐清の罪を重くすることもできません。
金田一は個人的な「真相を知りたい」という欲求で動いているにすぎないのです。
<エピローグ:NHK版の何がすごいのか?>
最初に触れたように、「犬神家の一族」はすでに11回も映像化されています。
ヨキ・琴・菊の見立ても、静馬×佐清の入れ替わりトリックもすでに広く知られたものです。
そのまま原作をなぞるだけでは、何の驚きもなく過去の名作を超えられません。
金田一が何度も言っていたように、事件自体は単純です。
それを派手な仕掛けによって目眩まししているにすぎません。
「犬神家の一族」の何がすごいのか?
それは人の思惑が意図せず影響しあうことで、事態が思わぬ方向へ転がっていく――その間に、単純な事件が複雑化してしまう過程を余すことなく描いている点です。
今回のNHK版は、ラストで金田一の推理自体に疑問を呈することで、事件をさもわかったかのように断罪する探偵というもの――あたかも「正解」がこの世に必ず存在するかのように振る舞う「正義側に立つ人間」に、「お前たちに、一体何がわかる?」と言っているように感じました。
善意と悪意は、表裏一体です。時と場所によって、または相手によって、いとも簡単に入れ替わるもの。
金田一も、我々視聴者も、それをホンの束の間のぞいているにすぎないのです。
げに恐ろしきは、人の心ということでしょう。
と、ここまで家族であーでもない、こーでもないと話し合って行き着いた感想です。
視聴後、思わず語り合いたくなる余韻を遺した終わり方は最高でした!
次は「本陣殺人事件」を見たいなぁ・・・。ぜひ、映像化して下さい!