シン・エヴァンゲリオン感想<ネタバレあり>⑥碇ゲンドウについて・後編
ゲンドウとシンジ
親にとって、子供は予測不能な生き物だ。
突然泣き出したり、駄々をこねたりする。
日々めまぐるしく変化し、成長する。
自分と妻の間に生まれたはずなのに「別の人間」で、親の思い通りにはならない。
その上、子供を産んだことで自分だけのものだった妻が「母」になってしまう。子供は今まで自分ひとりに向けられていた妻の愛を、奪い取る存在なのだ。
子供を持ったことで、変質してしまった最愛の女性。それは、初号機がゲンドウの思い通りに動かないシーンで示唆されている。
他人とうまくコミュニケーションがとれないゲンドウにとって、他人は煩わしいもの、静かな自分の心を乱すノイズのような存在だった。
自分だけの世界に閉じ籠もり、他人を必要としなければ決して傷つかない。
空気を読んで無理に迎合しようとするから、心をすり減らせてしまうのだ。
そこに現れたユイだけが、ありのままの不器用な彼を受け入れてくれた。
ユイは彼にとって、今まで彼が拒絶し、壁を作ってきた「社会」へ向けて初めて開いた「窓」であり、自分という人間を全肯定してくれる女神だったのだろう。
初めから何も持たない者は、奪われることはない。
しかし、一度大切なものを得た後それを取り上げられたなら、人はその喪失感に耐えられない。
「世界を崩すことは造作もない。だが作り直すとなるとそうもいかん。時と同じく世界に可逆性はないからな。人の心にも。だから今、碇は自分の願いを叶えるために、あらゆる犠牲を払っている。自分の魂もだ。」
冬月の言うように、ゲンドウにとって世界の崩壊はユイを失うことで起きた。
一度他人に受け入れられることを知り、その温かさ、心地よさを味わってしまえば、それ以前の「孤独でいても平気」な世界へは戻れない。
ユイと再び会うためなら、ゲンドウは自らヒトを捨てることも厭わなかった。
ユイこそが、ゲンドウにとって永遠に変わらない「完全なる世界」を具現化した存在だったからだ。
人類補完計画を完遂する手駒として呼び寄せたシンジを、ゲンドウは自分の用意したシナリオ通り他のエヴァパイロットと交流させる。
レイやアスカ、カヲルと触れ合い、友情を育むシンジ。しかし友人たちは次々に戦いの中で再起不能に陥っていく。
そして旧劇では惣流アスカ、新劇ではアヤナミレイ(仮称)を失った時、ついにシンジはユイを亡くしたゲンドウの心を追体験する。
ゲンドウにとって、最愛のものを奪われた喪失感こそが、「欠けた存在」である人類を補完する動機だ。
神との契約を遂行するために、儀式のトリガーとなるシンジも「なぜ人類補完計画が必要なのか」、身をもって知っておく必要がある。
シンジに圧倒的な喪失を経験させ、それを埋めたいという渇望を抱かせる。すべては、ゲンドウの計画通りに進んでいたはずだった。
大人になったシンジ
破で綾波レイを救うため、全てを投げ売ったシンジ。
しかし、Qでレイは消えており、状況の好転を狙った「リリスから2本の槍を抜く」
という行為で世界を破滅の危機に陥れてしまう。
シン・エヴァ冒頭で、シンジはことばを失い、希望もなく屍のように生きている。
シンジは当初、第三村で出された食事を摂ることを拒絶する。
このまま、食べずに死ねるならそうしたいということだろう。
しかし、アスカによって無理やり口にねじ込まれたレーションを飲み下す。
「全部僕のせいなんだ。もう何もしたくない。」自分の殻に閉じ籠もるシンジに対し、アスカはこう言い放つ。
「自分のこと、可愛そうだと思ってるんでしょ。」
他人のことを考えているようで、そこにあるのは自分。
自分、自分、自分のことばかりだ。
アスカによる乱暴な食事の強要は、シンジに否応なく他者の存在を突きつけた。
いつだって、他人に言われたから仕方なく従ってきたようなフリをしてきたシンジ。
しかし、従うことを決めたのは自分だ。
もう人を傷つけたくない。そう言いながら、人を傷つけてしまったことで自分の心が痛むから他者と距離を置こうとしてきたに過ぎない。
誰もが、欠落感を抱えて生きている。
理解し合った気になっても、それはただの勘違いにすぎず、人は近づいたと思えば離れていく。
そんな不安から全人類を救う方法、それが「地球上のあらゆる生物が混ざり合い、単一の生命体になること」=人類補完計画だった。
しかし旧劇でもシン・エヴァでも、シンジは最後に「他人がいる世界」を選ぶ。
自分を救うために必要なのは、良いことも悪いことも、正義も悪も、正解も過ちも、愛も憎しみも・・・この世のありとあらゆる感情を「そこにある」と認めることだ。
他人と接することで生まれるすれ違いや軋轢は、決して消えることはない。
悪意も好意も表裏一体で、どちらかだけが存在する世界などあり得ないのだ。
Qまでのシンジは、ゲンドウから譲り受けたS-DATで耳を塞ぎ、他人を遮断してきた。
S-DATは形を変えたATフィールドだったのだ。
しかし、アヤナミレイ(仮称)を失った時----耐え難い喪失を経験した時、シンジは世界を拒絶する(=S-DATで耳を塞ぐ)のではなく、痛みごと喪失を受け止めようとする。
SーDATで耳を塞ぐことをやめたシンジは、第三村で生活するうちにほかでもない「他人との触れ合い」によって救われていく。
それは、ゲンドウがついになし得なかった「他人と共生できる地平に立つ」=現実をありのまま受け入れ、大人になることだった。
ゲンドウが恐れていたもの
ゲンドウが最後にたどり着いたゴルゴダオブジェクトは、人ならざるもの(=神)がマイナス宇宙に創り出したイマジナリーな世界を具現化する装置だ。
そこでは対象が見たいように見え、感じたいように感じられる。
救世主(ゲンドウ、あるいはシンジ)が望む世界が、新世紀に生み出されるはじまりまたは終着の場所だ。
エヴァンゲリオンに乗り込み、戦うゲンドウとシンジ。
しかし、エヴァンゲリオンという殻を纏った状態では、互いの心を理解することはできない。
「僕は、父さんと話がしたい」
シンジの呼びかけによってゲンドウはエヴァを降り、初めて自分の内面を息子にさらけ出す。
長い独白の終わりに、ゲンドウはシンジの中にユイの姿を見出す。
子供には、父親と母親の遺伝子が確実に受け継がれている。ユイはシンジの中で生き続けているのだ。
ユイを求めるあまり、人類補完計画遂行にすべてを捧げシンジを遠ざけてしまったことが、皮肉なことにゲンドウとユイの再会を阻んだ最大の原因だった。
永遠に続くと信じていた、ユイとの調和のとれた完璧な生活に現れた不確定分子=シンジ。
しかし、シンジの中にユイの存在を認めたとき、ゲンドウは悟ったのだ。
自分を不変の愛で永遠に包んでくれると信じていたユイも、変化していく存在だということに。
子供はきっかけに過ぎず、生きている限り人は常に変化し続ける。ユイもまた例外ではない。
元々「完璧なユイ」はゲンドウのイマジナリーな世界にしか存在しないのだ。
それこそが、ゲンドウが真に恐れていたことだった。
※冬月が最後に遺したことばーーー「碇、ユイくんには会えたのか?」
冬月はわかっていたのだろう。
再びユイと再会した時、そこに現れるユイは「かつての彼女=自分たちの記憶の中にいる姿」とは違うであろうことを。
自分の研究室の教え子であったユイに対し、教え子以上の感情を抱いていた冬月。
彼もユイへの思いを断ち切れずに人類補完計画に協力する道を選んだ。
しかし冬月は、計画の破綻をどこかで予測していたように思う。
そして、破綻を見届けてはじめて、ユイへの思慕を断ち切れると思い定めていたのではないだろうか。
さらば、すべてのエヴァンンゲリオン
ゲンドウの人類補完計画の真の目的は、彼の記憶の中にいる「理想の女性=ユイ」を復活させ、彼女を完璧な姿のまま未来永劫自分のものにすることにあった。
しかし、初号機に取り込まれることを自ら選んだユイは、夫の望みを知りつつそれに応えることはなかった。
すでに彼女は母であり、シンジを守り育てることをゲンドウを愛することと同じ(もしくはそれ以上に)大切に思っていたからだ。
ユイがゲンドウを受け入れたのは、崩壊するイマジナリーな世界=自分しかいない閉じた世界からシンジを広く開けた他人がいる世界へと送り出した時だった。
この時、はじめてゲンドウは本当の意味で父になることができ、ユイはそれを祝福したのではないだろうか。
「父さんは、母さんを見送りたかったんだね」
ついにゲンドウはユイの死を受け入れ、「自分のしたことに落とし前をつけて」すべてのエヴァンゲリオンとともにイマジナリーの世界へ消えていった。
自分とユイが残した方舟ー互いのDNAを半分ずつ乗せた遺伝子の船であるシンジに未来を託して。