夫婦でボードゲーム

夫婦でボードゲーム

ボードゲームにハマった夫に付き合ううち、嫁が積極的にボドゲ購入するように。ボドゲ初心者から、ようやく中級者になってきた日常を、2人で遊んで楽しいボードゲームを中心にまったり綴ります。(時々、映画・ドラマの感想など)

シン・エヴァンゲリオン感想<ネタバレあり>⑤碇ゲンドウについて・前編

ゲンドウの孤独

 Qを見た当時、強い違和感を覚えた。

ミサトさんがやたらとシンジに冷たいとか、リツコさんがバッサリ髪を切っているとか、そんなことよりも

なぜ廃墟となったネルフ跡地にグランドピアノがあるのか。

いつ運び込まれたのか?シンジとカヲルが連弾するために用意されたのか?(そんなバカな)

 

謎はシン・エヴァでついに明かされた。

元々あのピアノを弾いていたのは、ゲンドウだったのだ。

 

シン・エヴァでゲンドウが自分の過去を振り返る下りで、自分の好きなものを2つ挙げている。

ひとつは「知識を得ること」、もうひとつが「ピアノを弾くこと」だ。

恐らくゲンドウが司令官としてネルフに着任した際、地下にピアノを持ち込んだのではないか。

そしてニアサード・インパクトでネルフ本部の特殊装甲がすべて吹き飛んだ時に初めて、ピアノはゲンドウ以外の人の目に触れたのだろう。

 分厚く鎧われたターミナルドグマ深くに置かれたピアノ。

それは、ゲンドウの心の暗喩だ。

 

※視聴者はシンジの目線で物語を見るよう誘導されている。

ゲンドウが何を思い、なぜ人類補完計画を進めようとするのか。

エヴァの構造は、ゲンドウという人間を理解することを意図的に困難にしているのだ。

 

ピアノとチェロ

ピアノは必ず弾いた通りに応えてくれる。だから好きなのだとゲンドウは言う。

常に変わらないもの。明確で曖昧さがないもの。それこそが彼の思う真実だからだ。

 

ピアノは、鍵盤を叩くことで音楽を奏でる。

一つの鍵盤を叩けば、必ずそれに対応した一つの音が鳴る。

誰が弾いても、ドの音は常にドだ。

 

ゲンドウの選んだ楽器がピアノであるのに対し、シンジが習っていたのは弦楽器であるチェロだ。

弦楽器は弦の上に指を滑らせ、弓で弦をこすることで音を奏でる。

弦には音の目印はついておらず、演奏者が耳と指先の感覚で音を作っていく。

弦の上には無数の曖昧な音があり、そこから演奏者が選び取っていくことで音は初めて姿を表すのだ。

 

ゲンドウとシンジ。親子である2人の選んだ楽器は、彼らの世界に対する姿勢を表していて興味深い。

 

※音を奏でることは、古来ギリシアでは神との交歓、宇宙の真理を解き明かす方法のひとつだった。

太陽神アポロンは芸術の神でもあり、アポロンの息子であったオルフェウスは、竪琴の音色で人だけでなく動植物や神でさえ従えたという。

新世紀を創ろうとする碇親子が楽器の演奏をすることは、これと無関係ではないだろう。

 

 

 ゲンドウとカオル

「計画通りだ。」

そう繰り返すゲンドウにとって、この世のすべては用意されたレールの上を粛々と進んでいかなくてはならない。

たとえ予定外のことが起きたとしても、誤ったシナリオはあるべき姿にすぐに書き換えてしまえば良いのだ。

(事実、ゲンドウにとってはニア・サード・インパクト後のネルフ解体・部下の離反でさえ、計画遂行に決定的なダメージを与えるには至らなかった)

 

「お前の生き様を見せても、息子のためにはならんとするか。私はそうは思わないがな」

長年ゲンドウの傍らにあった冬月のことばは「息子にありのままの己の姿を見せるべき」という指摘だ。

父を反面教師にするか、そうでないかはすべてを知った上でシンジが決めるべきことだからだ。

 

しかし、ゲンドウのシンジに対する姿勢は一貫している。

子供に説明する必要はない、親の言う通りにしていれば良い。人類補完計画が成った暁にはシンジも母に会えるのだから。

最愛の妻、ユイを復活させる。それはゲンドウにとって、自分だけでなく息子シンジのためでもあるのだ。

 

シン・エヴァで、シンジは「カヲルとゲンドウは似ている」と話す。

Qで渚カヲルとシンジが交流するシーンを振り返ってみると

カヲル「碇くん、話そうよ」カヲル、シンジを呼び寄せピアノの前に座らせる。

シンジ「あの、話をするんじゃないの?」

カヲル「ピアノの連弾も音階の会話さ。やってみなよ、簡単さ。君はこっちで鍵盤を叩くだけで良いんだ。さ、弾いてみなよ」

 

カヲルは会話を求めるシンジを遮って、ピアノを弾くよう促している。

どんなことばが出てくるか予測のつかない会話ではなく、決まった鍵盤を叩けば必ずそれに対応した音が出るピアノを選んだのだ。

カヲルも、シンジのためを思って行動しているように見えて、実は選択権をシンジに与えていないのだ。

 

一見優しそうに見えるカオルは、シンジがカオルの思惑に従っていることを是とする=彼を「(カオルの思う)正しい方向へ導く、極めて父性的な存在」である。

シンジの考えを尊重し、シンジがどんな決断を下そうとも、守り包み込む母性とは正反対の思考なのだ。

 

★長くなったので、一旦ここで切ります(^^;)